久しぶりに、トーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』(Fischer Taschenbuch/フィーシャー文庫)を読み返した。ずっと以前、私はこの書でドイツ語読解の訓練をしたため、あちこちに書き込みが為されている。すなわち、文章構造を明示するための書き込み、文意の区切れを示すためのもの、それから日付の書き込みである。
日付――当時の私にとっては、短編小説と言えども、今の速度で読めなかったため、何日分かに小刻みに分割して読んでおり、そのために読んだ範囲を、その都度その都度、明示する必要があったのである。
大分黄ばんだ紙の上に濃い鉛筆で書かれた日付を見ると、ドイツ語を学ぶのに必死であった当時のことが思い出された。寝食を忘れるとはこのことであった。何かが私に憑依していたのだろうか。何しろ、ドイツ語を学ぶことの先に、私は何らの具体的目的を抱いていなかったにも関らず、あらゆる実践的目的や活動をほったらかしにして、来る日も来る日もドイツ語のことしか考えていなかったのだから(当時、私はドイツに来ることなど全く考えていなかった)。
今、当時の自分を思い返すに――敢えて言えば――あれは一種の恋の如きものであった。情熱を伴った私の意志の先にあったものは、ドイツ語であった。たかがドイツ語に・・・と誰もがここで首を傾げるかもしれない。一体、ドイツ語のどこにそのような魅力があるのか?何らかの実践的具体的目的もなく、どうして一体、たかが一つの言語に熱をあげることができるのか、と。
全くその通りである。今の私にも理解できない。当時の私は――こう言ってよければ――今の私とは別人であった。だから当時の私は今の私には他者でしかない。従って、今の私には当時の私のパースペクティヴ(観点)に立って説明するのはたやすいことではない(今の私ならば、何か新たなことを学ぶならば、もっと合理的な方法を選択するであろう。つまり、学ぶ対象を己の実践的活動や目的に奉仕させるような賢明な方法である)。
しかし、記憶が教えてくれる、すなわち、なぜ、ドイツ語学習に熱中したのか、ということの根拠について。当時の私は文学、なかでもドイツ文学に集中的に取り組んでいた。ドイツ文学の特徴は、哲学的思惟と詩的表現との、より高度な地点での融合にあった。
この考えの下、私は、ドイツ文学の作品を原文で読破できるようになれば、何らかの「真理」に辿り着けるのではといった、青二才的な考えを真正信じ込むに至った。
当時は、一言で言えば、生真面目であった。詩人や物語作者の表現の背後に、自分が求めてやまぬ絶対的な何かが控えている・・・このような稚拙な考えに囚われていた。しかし、これこそが、ドイツ語を自分に学ばせる根源的な原動力であった。
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当時のことをこのように振り返ると、今の自分が余りにも怠惰で、そして実践的な個々の課題にあまりにも拘泥しているように思われる。「あの頃は・・・」とは、誰もが使う言葉だが、私もこの言葉を使用させてもらえれば、こう言えるであろう。あの頃は、無限的なるもの、絶対的なるものへの情熱に溢れていた。従って、この情熱に裏付けられた私の行為は、あたかも日常の制約を超越するかのようであった、と(少なくとも私は当時、そのように妄想した)。
私は当時よりも年齢を重ねた。これまでの過程で、幾つもの「啓蒙期」を私はくぐり抜けて来た――社会の中での様々な経験がそうさせるのだから――。そうして当時より、私は賢明になり、そうして合理的になった。このことは、おそらくは「良い」ことであろう。
しかし、当時のことを思い返すに、現在のありように何らかの欠乏を感じざるを得ない。無限的なるものや絶対的なるものを求める情熱、そしてそれが適わぬことへの絶望、こういった経験には無縁となって久しい。絶望しないのは良いことだ――こう慰みに考えて、個別の事象の中に自分を埋没させる――それが現在の有り様かもしれない。ハイデッガーならば、このような有り様をdas Man(世人)と言うかもしれない。キルケゴールならば、深みのない、無限に延長する平面状にただ単にへばり付く生と規定し、さらにはこれを水平化現象の一形態に数えいれるかもしれない。
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Existenz ist nicht Ziel, sondern Ursprung des Philosophierens.(実存とは、哲学することの目標ではなく、その根源である。
こう言ったのはヤスパースであったか。
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本記事は、数年前にブログ記事用に書いたものの、表現的ならびに内容的に不満足であったため、公開していなかったもの。
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