2009年10月20日 (火)

「人は死ぬ」

三段論法

  1. すべての人は死ぬ。
  2. 私もまた人である。
  3. 故に、私もまた死ぬ。

「人は死ぬものだ」――よく聞く言葉である。しかし、「私は死ぬ」という言葉はあまり聞かない。なぜなら、死ぬのは、具体的なあれやこれやの人間でも、さらには私でもなく、「人」なのだから。

冒頭の三段論法(幾らか滑稽だが)の自明性は、あくまでも論理上の透明さに過ぎない。

ハイデッガー『存在と時間』から引用。

公共的な現存在解釈は、「ひとは死ぬものだ(man stirbt)」と言う。というのは、このように言うことで・・・(中略)・・・自分に言い聞かせることができるからなのである、すなわち、死亡するのはその都度他ならぬこの私ではない、と。それというのも、こうした世人(dieses Man)は誰でもない者(Niemand)だからに他ならない。「死亡すること」は、事物的に出来するものへと水平化されるのであって、そうした出来事は、なるほど現存在を襲いはするものの、しかし誰かにことさら帰属するというわけではない。

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2009年10月 7日 (水)

プリンと黄色い傘と

熱がある。咳も出る。朝のひんやりとした空気で白いカーテンが軽やかに揺れているのを眺めながら、私は自分の容態を他人事のように観察していた。

母は私の体温を測った後、学校を休ませ、病院に行く旨を私に告げた――幼い頃、私は気管支炎喘息のために小学校を休まなければならない日が時折あった――。普段は小学校に行く時間、いつもは時計の針に急かされて慌しい時間、遅れることの言い訳さえ無情にも受け付けない時間、それを逃れて、私はゆっくりすることができるのだ。

時の神クロノスさえも追って来れない場所、自分のベッドの上で、私は朝日を燦々と浴びた白いカーテンを眺めていた。

咳は苦しかった。でも、学校を休み、母と病院を訪ねる楽しみのために、それは打ち消された。

病院は、タクシーで10分ほどのところにあった。先生は丸顔の温厚そうな人であった。彼はいつもどおり、聴診と触診をした。そして薬の処方をする旨を話した後、私を解放してくれた。注射はかった。解放への、そして注射を免れたことへの喜びを、私は素直に表現して見せた。

さあ、これから本当の楽しみが始まるんだ。私はうきうきとした気持ちに浸った。右手に持っている小さな黄色い傘をぶんぶんと振り回した(これは母に注意されてすぐにやめたが)。さて、楽しみとは、病院の帰りがけにプリンを買うことであった。甘いものを厳しく制限していた母も、病院帰りにだけは、大目に見てくれた。

母はプリンを二つ買った。母の手の上で、透明な容器が輝いていた。その中に二つの色が見分けられた。容器の底には茶色っぽいカラメル。上のほうにはベージュ色のカスタードが。

それを見ただけで私は嬉しくなった。今頃、友達は算数の授業で足し算引き算の練習問題を解いていることだろう。それとも、国語の授業で文字の書き方を練習しているのだろうか?

ふふん、私は幼い優越感にひたった。自分はそんなことせずに、好物のプリンを食べることができるんだ。そして揺られている白いカーテンを眺めながら、いろんな空想を働かせて楽しむんだ。

翌日から、私は再び時計の針が支配する世界へと戻っていった。プリンの味と勢い良く振り回した、小さな黄色い傘の記憶を持って。

―――

小学校低学年の頃の思い出。

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2009年10月 2日 (金)

無知と暗き衝動

September_2009jpg_2 故郷に居た時の彼は幸せだった――幸せという言葉を、まだ無邪気であった彼は、単に「満足している」と解釈していたのだが――。しかしやがて彼は自分と周囲とに不満を覚えるようになった。幸せが重々しい粘液の如く身体に纏わりつき、自由が利かなくなった、こう、彼は妄想するようになった。

元気良く振れるはずの腕は硬直し、それにつれて、軽快に運べるはずの足取りもまた、重々しいものになった。

故郷の大地が私をこの地に繋ぎとめようとするのだろうか?ますます重く、そして深く、私の両足は大地にのめりこむ。――私が軽快に歩める、私の思考が束縛を離れ、自由に営まれる、そのような空間があるはず。私が生きるべき、苦悩するべき、そして喜びを感じるべき、そのような見知らぬ土地があるはずでは?

今や彼にとってはすべてが忌々しかった。家族や昔からの友人の愛情さえも。

もう私をこの土地に縛り付けないでくれ、そう、彼は幾度も心の中で叫んだ。慣れ親しんだ人々の温かな視線に気付き、そして恥じ入りながらも、それにおずおずと視線で答える時。

慣れ親しんだ人々との隔絶は容易ではなかった。そこで彼は努めた、すべての人をよそよそしく見つめること、綿々と続いている関係としてではなく、あたかも一つの発端であるかのごとく。このようにして、彼は自分に絡みつくありとあらゆるツタを振りほどこうともがいた。

すべてが疎遠となる時が来た。幼児から自分を守ってくれるように思えた遠くの山々も、心を慰めてくれていた川の穏やかな流れも、もはや彼には何も語り掛けなくなった。心の中では、彼はありとあらゆる束縛から解き放たれていた。そう、克服はできたのだ。

そうして彼は血縁一つない、見知らぬ土地へ旅立った。無知に、そして暗い衝動に駆られて。

だが、一体何のために?

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2009年9月12日 (土)

義務の道徳 contra 人間学的観点に基づく道徳

シラーのカント実践哲学への批判。

Gerne dien ich den Freunden, doch tu ich es leider mit Neigung,
Und so wurmt es mir oft, daß ich nicht tugendhaft bin.

喜び勇んで友を助けたい。しかし私は残念ながら(自然の)傾向性から為すに過ぎない。かくて、私は自分に徳なきことをしばしば悔やまざるをえないのだ。

Du mußt suchen, sie zu verachten,
Und mit Abscheu alsdann tun, wie die Phlicht dir gebeut.

友人たちをまずは軽蔑するに努めよ。そして嫌悪の感を抱きつつ、義務が命じるままに為すのだ。

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2009年8月31日 (月)

復活。その二。禁煙

私は自分の意志の弱さを嘆いている。なぜなら、煙草をやめてしまったのだから。愛煙家を自称していた私、その私は煙草をやめることは「しない」という意志を、いわば全体主義的禁煙運動の潮流に対して反抗的に抱いていたのだが、その強力であったはずの意志はもろくも砕け散った。

「Empysemaspekt(肺気腫の側面)」。この診断が禁煙の理由である。レントゲン診断で、予想だにしていなかった方向(呼吸器官)から、疑わしき症状の診断が下された。退院後、かかりつけの医師と話し合ったが、しかし問題はないということであった。私の年齢では稀であり、また、私のノッポ・痩せ型の体格では、「横隔膜低位(これが「肺気腫の傾向」の論拠)」というレントゲン診断は、肺自体に問題はなくとも下されやすいとのことであった。

しかしながら、気をつけるに越したことはない。健康のための健康はいらない。しかしこれからやり遂げたい課題の数々を遂行するための健康は必要である。

肺気腫の死に方が凄惨なものであることも、また、禁煙を決断させた理由である。呼吸が出来ない苦しみを味わいながら最期を迎える――これが肺気腫患者人生最後の瞬間である。この状態を想像するには、激しい運動後の息切れを考えてみればいい。その苦しみを数年味わった後、希望なく生に別れを告げるのである。いや、別れを告げる余裕さえないかもしれない。あまりもの息苦しさに。あるいは、脳に二酸化炭素が充満し、結果として意識障害を起こし、何も考えることさえ出来ないかもしれない。

私は死を恐れない。なぜなら、死はエピクロスと共に言うならば、生きている間にはやって来ないし、死が我々を訪れた時には、我々はすでに生きていないのだから(もちろん、「非存在」に対する実存的な恐れと戦慄感は有している。自分が存在しないとはどういうことか?「考える私」がなくなるとはどういうことか?)。

しかし最も忌避したいのは、実は死の前の苦痛である。死そのものは、恐れさせない。私は経験しないのだから。しかし、死の前の数年、そして数時間は、間違いなく経験する。そしてこの人生最期の経験が呼吸の苦しみでしかないのは、繰り返しになるが、やはり凄惨なことであろう。

―――

色いろと変化があった夏であった。良くも悪くも。

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復活

大袈裟なタイトルで言っていることは次の二つ。

つまり、1.ブログの再開。そして、2.体調が元に戻ったと言う事実。

1に関して。前回の更新は6月13日、つまり2ヶ月前であった。その後、なかなか更新できなかった理由は、最近の(ブログ執筆の)筆不精、そして健康を害したこと。

2に関して。これは健康を害したことと関連する。7月下旬に約一週間の入院生活を余儀なくされ、退院後も体力の回復だけに集中せざるを得なかった。メール一つ書くのさえ物憂い有様であった。

しかし、やっと今週から幾ばくか力を取り戻し、また元の生活に戻れるようになった。

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病は、胃と腸の炎症であった。医者曰く、「ストレスが間違いなく一つの原因」。私は意図的に――自分の課題一点に集中するため――自分に精神的負荷をかけて来たのだが、それが良くなかったようだ。休み方もまた学ばねばならない。

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2009年6月13日 (土)

神、そして魂(の永続性)

神。魂(の永続性)。

この二つの概念を扱う分野を、私は宗教と呼ぶ。哲学ではない。自称「哲学」がこれらの概念を取り扱っていた時代は確かにあった。ヨーロッパ中世の神学である(いわゆる「神学の婢女としての哲学」)。カント以降、この傾向は――私が知り得る限り――極端に減少する。

現在、この二つの概念を真剣に取り上げる哲学(研究)者は少ない。

私自身、この二つの概念には関わらないであろう――存在論的観点では――。しかし、意味論的観点では扱う価値が大いにある。

すなわち、これらの概念がどのように人々の間で機能していたのかという考察。これはニーチェの系譜学的考察およびフーコーの考古学的考察とも深い親縁性がある。

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2009年6月 5日 (金)

昔と今

久しぶりに、トーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』(Fischer Taschenbuch/フィーシャー文庫)を読み返した。ずっと以前、私はこの書でドイツ語読解の訓練をしたため、あちこちに書き込みが為されている。すなわち、文章構造を明示するための書き込み、文意の区切れを示すためのもの、それから日付の書き込みである。

日付――当時の私にとっては、短編小説と言えども、今の速度で読めなかったため、何日分かに小刻みに分割して読んでおり、そのために読んだ範囲を、その都度その都度、明示する必要があったのである。

大分黄ばんだ紙の上に濃い鉛筆で書かれた日付を見ると、ドイツ語を学ぶのに必死であった当時のことが思い出された。寝食を忘れるとはこのことであった。何かが私に憑依していたのだろうか。何しろ、ドイツ語を学ぶことの先に、私は何らの具体的目的を抱いていなかったにも関らず、あらゆる実践的目的や活動をほったらかしにして、来る日も来る日もドイツ語のことしか考えていなかったのだから(当時、私はドイツに来ることなど全く考えていなかった)。

今、当時の自分を思い返すに――敢えて言えば――あれは一種の恋の如きものであった。情熱を伴った私の意志の先にあったものは、ドイツ語であった。たかがドイツ語に・・・と誰もがここで首を傾げるかもしれない。一体、ドイツ語のどこにそのような魅力があるのか?何らかの実践的具体的目的もなく、どうして一体、たかが一つの言語に熱をあげることができるのか、と。

全くその通りである。今の私にも理解できない。当時の私は――こう言ってよければ――今の私とは別人であった。だから当時の私は今の私には他者でしかない。従って、今の私には当時の私のパースペクティヴ(観点)に立って説明するのはたやすいことではない(今の私ならば、何か新たなことを学ぶならば、もっと合理的な方法を選択するであろう。つまり、学ぶ対象を己の実践的活動や目的に奉仕させるような賢明な方法である)。

しかし、記憶が教えてくれる、すなわち、なぜ、ドイツ語学習に熱中したのか、ということの根拠について。当時の私は文学、なかでもドイツ文学に集中的に取り組んでいた。ドイツ文学の特徴は、哲学的思惟と詩的表現との、より高度な地点での融合にあった。

この考えの下、私は、ドイツ文学の作品を原文で読破できるようになれば、何らかの「真理」に辿り着けるのではといった、青二才的な考えを真正信じ込むに至った。

当時は、一言で言えば、生真面目であった。詩人や物語作者の表現の背後に、自分が求めてやまぬ絶対的な何かが控えている・・・このような稚拙な考えに囚われていた。しかし、これこそが、ドイツ語を自分に学ばせる根源的な原動力であった。

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当時のことをこのように振り返ると、今の自分が余りにも怠惰で、そして実践的な個々の課題にあまりにも拘泥しているように思われる。「あの頃は・・・」とは、誰もが使う言葉だが、私もこの言葉を使用させてもらえれば、こう言えるであろう。あの頃は、無限的なるもの、絶対的なるものへの情熱に溢れていた。従って、この情熱に裏付けられた私の行為は、あたかも日常の制約を超越するかのようであった、と(少なくとも私は当時、そのように妄想した)。

私は当時よりも年齢を重ねた。これまでの過程で、幾つもの「啓蒙期」を私はくぐり抜けて来た――社会の中での様々な経験がそうさせるのだから――。そうして当時より、私は賢明になり、そうして合理的になった。このことは、おそらくは「良い」ことであろう。

しかし、当時のことを思い返すに、現在のありように何らかの欠乏を感じざるを得ない。無限的なるものや絶対的なるものを求める情熱、そしてそれが適わぬことへの絶望、こういった経験には無縁となって久しい。絶望しないのは良いことだ――こう慰みに考えて、個別の事象の中に自分を埋没させる――それが現在の有り様かもしれない。ハイデッガーならば、このような有り様をdas Man(世人)と言うかもしれない。キルケゴールならば、深みのない、無限に延長する平面状にただ単にへばり付く生と規定し、さらにはこれを水平化現象の一形態に数えいれるかもしれない。

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Existenz ist nicht Ziel, sondern Ursprung des Philosophierens.(実存とは、哲学することの目標ではなく、その根源である。

こう言ったのはヤスパースであったか。

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本記事は、数年前にブログ記事用に書いたものの、表現的ならびに内容的に不満足であったため、公開していなかったもの。

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2009年6月 1日 (月)

素朴な問い――先験的主観と独我論について

カント的意味での先験的主観(das transzendentale Subjekt)は記述し得るか。『純粋理性批判』におけるカントの天才的発想と緻密な方法には確かに驚嘆すら覚える。主観を――日常的表現を使うならば――いわば「裸」にして行く発想と方法。

しかし、ヴィトゲンシュタインに倣うならば、そのような主観を措定することは不可能となる。すなわち、世界の限界は「私」である。

Das Subjekt gehört nicht zur Welt, sondern es ist eine Grenze der Welt. 主観は世界に属しない。それは世界の限界である。(論理哲学論考)

この不可避の帰結はすなわち、先験哲学の否定、そして独我論。

カントには思いもよらなかったであろう。己の業績、それもその一見崩しよううもない基盤を、後代の哲学者のたった80ページ程の著作で、根っこから否定されるとは。

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2009年4月20日 (月)

OSCAR WILDE "The picture of Dorian Grey".

All art is at once surface and symbol. Those who go beneath the surface do so at their peril. Those who read the symbol do so at their peril.

OSCAR WILDE "The picture of Dorian Grey".

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